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The Style Council

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1970年代末から80年代頭にかけて絶大な人気を誇ったバンド、ジャムのリーダーだったポール・ウェラーが、元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのオルガニスト、ミック・タルボットとともに結成したユニット。”スタイル評議会”というユニット名どおり、あらゆるポップ・ミュージックのスタイルに挑戦していくというのがユニットの基本理念であった。そのために固定メンバーを持たず、フレキシブルな活動を行っていくのが彼らの方針であったが、ドラマーのスティーヴ・ホワイト、サイド・ヴォーカルのD.C.リー(元ウェラー夫人)はほとんどレギュラー・メンバーと言ってもよいほどファミリー的な存在であった。またザ・ジャムの後期サウンドにおいて顕著になっていたポールのR&B、ソウル指向にとって、ジャジーでソウルフルな音にかけてはピカイチのオルガン奏者、ミックの存在は大きな助けとなった。 デビューは1983年のシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」。続くミニ・アルバム『イントロデューシング』で展開したソウル・ミュージックは後期ジャムのサウンドの延長線として捉えられたが、84年のセカンド『カフェ・ブリュ』では大胆にジャズ、ラップ、ボッサなどを導入。ジャム・ファンの間で物議をかもした一方で、特にシングル「マイ・エヴァ-・チェンジング・ムーズ」のヒットにより、かつてないほどの女性ファンをつかむことに成功した。 ポールはそれ以後もアンチ・ジャム路線を驀進し、85年のサード『アワ・フェヴァリット・ショップ』、87年の4Th『コスト・オブ・ラヴィング』、88年の5Th『コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ』と意欲作をリリース。86年にはライヴ・アルバム『ホーム&アブロード』も発表している。 こういった作品の中で、サウンド的には非常にソフィストケイトされた方向へ進んだポール・ウェラーではあったが、ジャム時代から一貫していた左翼指向はさらに先鋭化し、ポップなサウンドに過激な歌詞を乗せることで、オピニオン・リーダーとして尊敬を集めた。また、多くの失業者を生む炭坑閉鎖政策を強行した当時のサッチャー保守党政権に抗議し、チャリテイ・シングルの制作、支援ライヴ・ツアーを敢行した。さらに自らスポンド・レーベルを設立し、新人アーティストの育成にもあたった。 ところが、89年に6作目として制作したハウス・ミュージック・アルバムがレコード会社から拒絶され、以後のユニット活動が不安定になった。そして続く90年にユニットを解散。2人はソロ活動に転じた。しかしポールのソロ・アルバムにミックがたびたびゲスト参加するなど、依然、信頼関係は続いている。
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