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Pixie Lott

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バイオグラフィ

ピクシー・ロットが還ってきた。ひときわ明るい輝きを放つこの新星ポップ・スターは、8月、セカンド・アルバムからの第1弾シングルをリリース。彼氏なしのフリーでいること(と、テーブルの上で踊ること)の喜びを讃える、ハイ・エナジーな「All About Tonight」は、すぐさまインターネット界でヒットし、ラジオやテレビを席巻した。かつてまだ10代だった時に大旋風を巻き起こした彼女が、曲の冒頭で「新しい靴を買って、新たな心構えで臨んでるのよ…一番重要なのは今夜」と宣言している通りだ。数字もまた重要である。デビュー・アルバム『Turn It Up』のリリースから2年と経たないうちに、ピクシー・ロットは実に幅広い人気を獲得してきた。その実例を数字で上げてみよう…。まずデビュー・アルバムは100万枚を売上げ、トリプル・ブラチナの快挙を達成。No.1シングルが2枚。長期に亘るチャートインは96週を越え、現在も継続中だ。ブリット・アウォーズでは3部門でノミネート。2009年のMTVヨーロッパ音楽賞では2部門を制覇。19公演に及ぶ全英ツアーは、すべてソールドアウト。フェイスブックのフレンド登録は100万人を突破。公式ツイッターには50万フォロワー。そして「All About Tonight」のビデオは先月ネットで公開されたばかりだというのに、既に視聴回数が200万回を越えている。 しかし何より最も重要なのは、彼女の音楽だ。今回、ピクシーはセカンド・アルバムを制作するに当たり、デビュー作での大成功を足場として前進するだけではなく、曲作りとレコーディグの過程で、前作を上回るような素晴らしい人々からの助力を得ようと固く決意。そしてスティーヴィー・ワンダーやジョン・レジェンドらとの、心通う音楽プロジェクトを実現した。また、「Mama Do (Uh Oh, Uh Oh)」や「Boys And Girls」「Cry Me Out」といった曲で彼女のソングライティング・パートナーを務めた、フィル・ソーナリーとマッズ・ハーグと再びタッグを結成。そしてロンドン、ニューヨーク、ロサンジェルスの様々なスタジオでレコーディング。加えて、有名ブロガーのペレス・ヒルトンが後押ししたコラボも実践。これだけのことをやるには、身がすくんでもおかしくはない。だがピクシーは違った。 「あちこち旅しながら色んな人達と仕事することに、私はすごく慣れてるの」と語る彼女は、今年1月、10代に別れを告げたばかり。しかし若くして既にベテランだ。「初めて会った相手と2人でやることになって、その人が若い男性で、彼の部屋で2人だけで曲に取り組み、その日の終わりまでにはヒット・ソングを書き上げることになっている ー それってかなり変な状況だとも言えるわよね!」と彼女は笑う。「でもそういうことを、私は13歳の頃からずっとやってるのよ。最初の何年かはぶっ続けで、私は毎日スタジオに入ってた。これまでの人生の3分の1よ! だからスタジオに入って、色んな人達に会い、一緒に曲作りをするってことは、私にとってごく当たり前のことなの。そして以前一緒にやってうまくいった相手とまた仕事をすれば、確かにより良い曲が生まれる。いつもそう思ってるわ」と、彼女は言い添える。現在タイトル未定の新作からの2枚目のシングルに予定されている、エレクトロ色を帯びた「Kiss The Stars」を3人で共作したことを、彼女は強調しているのだ。「あの曲は、かなり短時間で書き上がったの。ある日、中心となるアイディアが浮かんで、次の日にはもう完成していたわ」 新曲のうちの幾つかはアップテンポなダンス調となっているが、それらがまた、「Nobody Does It Better」のような深みのあるソウルフルな響きの曲や、ストリングスをちりばめた「Everybody Hurts Sometimes」等と好バランスを成している。 後者を共作したのは、ロスを拠点とする21歳のソングライター、CJ・バラン(CJ Baran)。彼はペレス・ヒルトンの友人だ。アメリカで早くからピクシーを熱心に応援していたカリスマ・ブロガーのペレスは、2人のコラボを提案。バランは以前、ボーイズ・グループのプッシュ・プレイ(Push Play)で活動していたが、その経歴は同曲の3人目の作者と同じだ。そう、元バステッドのジェイムス・ボーンである。 「私の仕事がオフだったある日、ロンドンのスタジオで会うことにしたの ー レコード会社にも内緒でね」と、ニッコリする彼女。結果、この秘密のコラボレーションは強く心を揺さぶる曲に仕上がり、今アルバムの最も重要な核となった。雄大で情熱的なこの曲では、ピクシーの声域の、よりしゃがれた、よりソウルフルな側面が、限界まで発揮されている。 「私は子供の頃から、ソウルをいっぱい聴いて育ってきたの」とピクシー。英南東部のケント州とエセックス州で育った彼女は、歌ったり踊ったりするのが好きな女の子だった。「ファースト・アルバムでは、甘めのポップ・チューンが多かったでしょ。でも今度のアルバムでは、ハッピーで元気の出る曲に加えて、よりソウルフルなサウンドを追求したかったの。それで、こういった曲をもっと歌うようになったってわけ」 「今回は、ファーストよりも大人っぽい作品にしたかったのよ」と、彼女は続ける。「ファースト・アルバムに取り掛かった時は、私は13歳とか14歳とかだったでしょ。あのアルバムの曲を書き上げるのに4年はかかったわ。そのうちの1つ「Hold Me In Your Arms」は、14歳の時に書いた曲で、ヴォーカルも当時録音したものなの。私の声を聴いてもらえれば、それが分かると思う。甘ったるくて、無邪気なのよね」 「You Win」という曲では、ジョン・レジェンドがピアノとヴォーカルで参加。かつてカニエ・ウェストの弟子としても知られたこの名高い人物をピクシーに紹介したのは、共通の友人だった。出会ってすぐに意気投合した2人は、それぞれ同じくらい多忙なスケジュールの中、何とか空き時間を作り、ある晩ニューヨークで同曲を書き上げたのであった。 レトロなソウル感が漂う「Stevie On The Radio」は、瞬時のひらめきから生まれたケースだ。この曲ではスティーヴィー・ワンダーがハーモニカを演奏。このソウル界の大御所にピクシーを紹介したのは、また別の共通の友人である。ロスで共にディナーを囲みながら知己を深め、コラボの話が持ち上がったのだが、ピクシーはその時の自分がファン丸出しだったことを認めている……。「あれほど数多くの素晴らしい名曲を彼がどうやって書いたのかとか、自分ではどの曲を一番気に入ってるかとか、質問攻めにしてたのよね、丸っきりファン状態で! そしたら彼はこう言ったの、『自分の書いた曲はどれも、僕にとっては子供なんだ。全部愛しているよ』ってね。彼は本当に優しくて、腰の低い人だったわ」。 そして曲のアイディアは、今も次から次へと生まれている。今年の夏はロンドンで、ミスター・ハドソンとキャシー・デニスと共に曲作りを行っていたピクシー。「What Do You Take Me For」という曲では、共演相手として、ある新進気鋭のラッパーに目を付けている。彼女はティンチー・ストライダーともレコーディングを行っており、その曲は彼の次のアルバムに収録予定だ。 ピクシーがインスピレーションを発揮しているのは、音楽の分野だけではない。ファッション・ブランド『Lipsy』(リプシー)とのコラボ・デザイナーを務めている彼女は、4期目のコレクションに向けて、現在デザインを準備中。同ブランドとのパートナーシップは、ますます強力になっている。また、その個性的なルックスによって、彼女は更に新たな面白いテリトリーへと足を踏み入れてもいる。今年の夏の初め、モデル事務所の『セレクト』と契約。音楽界での地位を固めた彼女は、他の分野にも手を広げる準備ができたと感じているのだ。 しかし彼女はこれからもずっと、常に初恋の相手と寄り添い続けていくことだろう。そう、音楽と。 「もし誰かが1年前、『セカンド・アルバムではジョン・レジェンドやスティーヴィー・ワンダーとコラボすることになるぞ』って私に言ったとしたら、絶対に信じてなかったでしょうね」と、笑顔を浮かべるピクシー。「でも私は本当に長い間、13歳の頃からずっと、ここを目指して取り組んできたのよ。そして必死に頑張ってきた。他の道なんて思いもつかなかったわ。絶対にやり抜こうと心に決めてた。でも今回のアルバムでコラボできた素晴らしい人達との仕事は、すごく自然発生的に実現したのよね。レコード会社が推し進めたわけでもないし、私が無理強いしたわけでもない。ただ自然に良い方向に進んでいっただけ。私はすごく運が良かったったと感じてるわ」。 もしあなたがピクシー・ロットと同じくらい、才能と熱意に溢れた、生まれながらのポップ・スターならば、世界中の幸運はあなたのものになることだろう。 ◆デビュー・アルバムのバイオグラフィー もちろん音楽は的確で、存在感のあるものだ。しかし、その声を聞いた途端にまるでアニメの世界でフライパンに頭を叩かれたような衝撃を受けるはずだ。ソウル・ディーヴァの深みと成熟さに加え、強力かつ豊かで中毒になりそうな声がティーン・ポップ・プリンセスの器用さと活力に合体した。その声の持ち主が人々にピクシーと呼ばれ、姉の身分証を借りずにクラビングできる嬉しさに興奮している若干18才の女の子から発せられる声だということは信じがたい。 50歳(彼女いわく自分の中で公式に"年を取った"という年齢らしい)になる前に、ピクシー・ロットにはかなえたいたくさんの夢がある。素晴らしい人達に会うこともその1つだ。最高の舞台でパフォーマンスすることも?それもありだ。今の親友たちもなくしたくないが、新しい友達もたくさん作りたい。そしてこれからも人々に影響を与えられるような曲を書き続けて行きたいのだ。そして最後にこれからも、「末永く永遠に歌い続けていきたい」と思っている。 才能あふれるこの新しい歌姫の曲を聞くと、それほど難しくないし、スタイリッシュな彼女の熱気は今後数々のヒット曲に支えられながら人々に広まるということがわかるだろう。人を振り返らせる音楽スタイルと驚きで眉をもち上げさせるような声、魅力的なダンス・ミュージックとつま先でリズムを取りたくなるようなソングライティングの才能で、マーキュリー・レコードと契約後、ピクシーは一緒に働いたすべての人の才能を引き出してきた。有名な作詞家フィル・ソーナリーとマッズ・ハーグとの共同作詩によってできたファースト・シングル'Mama Do' はデートに行くために夜中に抜け出すという典型的な10代の女の子の話だが、彼女の性格、豊かなボーカルと人々をひきつける不思議な個性がたっぷりと詰まっている。 ピクシーの楽曲は活気に満ちている。そして世界中の名高い作曲家たちとの18ヶ月間に及んだ仕事の成果がしっかりと表れている。ソーナリーと共にピクシーがスタジオにこもったのはカットファーザーとジョナス・ジェバーグ(カイリー・ミノーグやプッシー・キャッツ・ドールズとも仕事をしている)、レッド・ワン(レディ・ガガの'Just Dance')、リリーとベックのコラボレーターでもあるグレッグ・カースティン、人気ソングライターのルース・アン・カニングハム、'If I Were A Boy' と 'Big Girls Don't Cry'を担当したNY在住のプロデューサー兼ソングライター、トビー・ガッドとアメリカン・アイドルの審査員もやっている超スーパースターでソングライターのカラ・ディオガーディだ。 ピクシーは18歳の歌手で、18歳らしくさわやかに歌う。フレッシュで表現力豊かで楽しくて、自由奔放なボーカル・スタイルがここにある。ピクシーの元気で、たまに軌道を外したYouTubeの動画日記をチェックしていれば、ソングライティングのセッションに夜遊び、押しかけパーティーなどで過ごしたここ数年の彼女のことがわかるだろう。しかしもう少しだけ時を遡って、ケント州でピクシーというあだ名を付けられ(彼女が悪いことをしたときにのみ本名で呼んでもいいそうだ)、母親が好きだったというテイク・ザットやダイアナ・ロスを聞いて育った少女に注目してみよう。 間もなくピクシーは自分の好きなアーティストをみつける。マライア・キャリーにはハマったらしい。そして学校で歌とダンスに興味をもった彼女はItalia Conti(大学)への入学を希望し受験する。演劇学校の奨学金を受けた彼女は歌とダンスにかける夢を追求し、その結果ウェスト・エンドで上演していた「チキチキバンバン」への出演からピンク・フロイドのロジャー・ウォルターズとのレコーディングにいたるまで幅広く様々なおもしろい経験をしてきている。 14才のときに偶然みつけた雑誌「The Stage」の中に出ていた1つの広告がすべての始まりだった。おかしな表現で、少年少女を募集する広告を見ても、そこから何かが始まるだなどとは思えにくいし、怪しく思うのが一般的だ。しかしこの広告がピクシーをニューヨークへと向かわせ、作曲とデモのレコーディングを始めさせることになった。すべてはここから大きく動き始めたのだ。「ちょうど学校にいたのよ」ピクシーは思い出す。「LAリードが翌日私に会いにくるというメッセージを受け取ったの。私は彼が誰かも知らなかったし、打ち合わせなんかしたことがなかった。」彼女は後日LAリードがグラミー受賞ソングライターでプロデューサーであることを知ることになる。彼女は歯医者の予約をとり、翌日の学校をさぼって、彼のためにマライア・キャリーを歌い、そして次の日には普通に学校に通い、誰にもこのことを話さなかった。 時が経つにつれ、マイスペースへのデモ曲のアップロードは増え、彼女の獲得合戦が始まった。結局、ピクシーが契約をしたのは英国のマーキュリーと米国のインタースコープだった。その結果、ドキドキ感や失恋、破れた夢や憧れについての曲はすべての10代の心に行き渡るようになった。'Turn It Up'は10代のカップルが別れても友人でい続ける曲だが、その一方にあるタイプが、終了すると同時にあっさりと窓から投げ捨てられるような関係であり、こちらはアリシア・キーズをほうふつさせる象徴的なバラード'Cry Me Out'だ。 「'Cry Me Out'は"もう乗り越えなさい"と自分に言い聞かせているのよ。」とピクシーは笑う。「ジャスティン(ティンバーレイク)の'Cry Me A River'と似ているわね。きちんと責任をとり、涙を流しても大丈夫ってことよ」注目すべきは'Cry Me Out'にも"I got your emails, you just don't get females"という歌詞があり、誰であり、必要以上に知ることのない90年代における10代の性の政治学についての現状を正確に2行でまとめている。 'Gravity'は逆に離れていってしまうのがどれほど簡単であり、離れたままでいることがいかに難しいことか、どれほど簡単に人にひきつけられるか、そして投げ捨てられてしまうかを歌っている。この曲はバンジー・ジャンプのような恋の歌なのだ。 多くの現代音楽のファン同様、ピクシーも自分が聞く音楽を選り好みしてきた。尊敬しているのはグエン・ステファニーとリアーナであり、アリシア・キーズのソングライティングの才能だ。そしてザ・ストロークスやザ・クークスで踊っていたのだ。ステージにおいて彼女はマライアの歌唱力とブリトニーの身のこなしとショーマンシップを愛している。ショー以外ではローリン・ヒルの独立心と精神、そしてクリスティーナ・アギレラの質へのこだわりを尊敬している。また、ホイットニー・ヒューストンとイヴリン・シャンペーン・キングの素晴らしい声とダンス・ポップスがお気に入りだそうだ。作曲されてから何十年たっても、未だに世界中の人々に愛され、歌い続けられている曲目をもつスティーヴィー・ワンダーが男性のトップだ。これを聞くと、長いはしごの1番下にいる気分にさせられる。しかしピクシーは挑戦を受けて立った。そして生まれたのが、楽しくて中身のしっかりある曲。鋭いが耐えられないほど尖ってはいない作品だ。ピクシーの音楽には本物と魂がこめられているが、頭がいたくなるほどその重要性を語っているわけじゃない。結局のところピクシーはピクシーでしかないのだ。「自分で作詞したものであっても、なくても歌う作品への強い気持ちと誠実さがないといけない。歌うときは気持ちをしっかりと込める必要があるの」 売り出した商品に対する支持を香水の種類やリアリティ番組への出演でアーティストの成功を計るという不思議な時代に我々はいる。しかしピクシー・ロットの夢はとても伝統的なものだ。彼女は成功したときがわかると言う。「CDが売れたときとか、外を見ると人だかりができているときよ」とても単純な目標だ。ポップスがもう少し気楽で、ヒット曲や新しいアイデアと才能あふれるアーティストだけが重要だった時代に彼女の音楽が我々を戻してくれるような気になるのも偶然ではないだろう。「私の居場所はあると思うの」彼女はそう言いながら、丁寧に机の上で手を組んだ。「そこに行くのが待ちきれない・・・」
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