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バイオグラフィ

ボノ/Bono (vo/g)、ジ・エッジ/The Edge (g/piano/vo)、アダム・クレイトン/Adam Clayton (b)、ラリー・マレン/Larry Mullen (ds/perc) 前作『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』がロック界に檄を飛ばし、32ヶ国のチャートNo.1に輝いてから早4年。ついにU2 待望のニュー・アルバム『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』がリリースされた。通算11枚目のスタジオ・アルバムである。 18ヶ月以上に渡ってダブリンと南フランスでレコーディングされたこのアルバムは、U2が今なお最盛期にあることを証明してくれる。エッジ特有のギ ター・リフを中心に、2001年にボノの父親の死という影は落としたものの、ひたすら元気に満ちあふれている。リード・トラック「ヴァーティゴ」はすでに 各国でNo.1に輝き、アメリカでは一週間のダウンロードの売上がこれまでのどんなダウンロードの記録をも上回った。 U2の歴史を遡っていくうちに見えてくるのは、彼らが常に実行力を伴うバンドであること。「演奏する以前にバンドという形にこだわった」と過去のイ ンタヴューでボノも語っていたが、すべての始まりは1978年にラリー・マレンが、ダブリンのマウント・テンプル・ハイスクールの掲示板に「求む、ミュー ジシャン」の募集広告を貼り付けたことにある。パンクの精神にインスピレーションを受けながらも、英国とアイルランドを隔てる海のおかげで、あのムーヴメ ント特有のよそよそしさとは無縁だったボノ、エッジ、ラリー、そしてアダム・クレイトン。情熱的なパフォーマンスで地元のファン層は拡大する一方だった。 とは言え、1979年にCBSからリリースされたEP『U23』はアイルランドのみのワン・チャンスとなり、本格的なレコード契約を結ぶには至らなかっ た。翌年、ついにクリス・ブラックウェル率いるアイランド・レコードと長期契約。5月には待望のデビュー・シングル「11 O' Clock Tick-Tock」をリリース。ようやく本格的な活動が開始された。 その後、プロデューサーのスティーヴ・リリーホワイトと共に『ボーイ』(1980)、『アイリッシュ・オクトーバー』(1981)、 『WAR(闘)』(1983)と3枚を立て続けに制作。ソングライターとしてめきめき自信をつけていった。たしかに、心に秘めた様々な思い、例えば自由政 治や福音主義的キリスト教に対する考え方などを、ロックンロールの思想と調和させるのは難しかったかもしれない。が、結果的にどのアルバムも実によどみな かった。1983年3月、『WAR(闘)』からのファースト・シングル「ニュー・イヤーズ・デイ」が初の全英チャートNo.1に輝き、彼らの壮大な音楽を 受け入れる土壌がようやく整った。同年11月にはライヴ・アルバム『ブラッド・レッド・スカイ=四騎=』もリリースされ、ビルボード・トップ30にエント リーしている。 ところが、勢いはとどまるところを知らず、バンドもサウンドもますます壮大になっていく。アンビエント界の巨匠ブライアン・イーノと弟子のダニエ ル・ラノワと組み、ダブリンのスレイン・キャッスル内の荘厳なボールルームに機材を設営すことで、ゴージャスな雰囲気の中で新曲は紡ぎ出されていった。そ の成果は『焔(ほのお)』(1984)となり、「プライド」というビッグ・ヒットが生まれた。アルバム・リリースに伴う9ヶ月に及ぶツアーは全米だけでも 54公演。そして1985年7月に訪れたクライマックスは、ロンドン・ウェンブリー・スタジアムで行われた、あのライヴ・エイドへの出演であった。 U2はアメリカに魅了されていた。そしてアメリカは、そんな彼らにしっかりと恩を返した。U2が次のアルバムに選んだのは、LA郊外の乾ききった国 立公園で、カントリー・ロックの伝説グラム・パーソンズの眠る地としても知られるヨシュア・トゥリー。1987年にリリースされた『ヨシュア・トゥリー』 は、『焔(ほのお)』のサウンドを継承しつつ、選りすぐられた楽曲の集まりだった。人々の反応は素早かった。「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」そして ゴスペル風の「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー」は共にアメリカのシングル・チャートのトップを射止め、グ ラミー賞では<年間最優秀アルバム>、ならびに<年間最優秀ロック・グループ>を受賞。アルバム・セールスはなんと2,000万枚を突破した。 しかし、U2は変化を止めることなく、常に進行形である自分を楽しんでいるかのようだった。ボノはボブ・ディランと共作し、アムネスティ・インター ナショナルを支援し、エッジはオリー・リード監督の映画『CAPTIVE』のためにスコアを書いた。映画といえば、『ヨシュア・トゥリー』の全米ツアー (89公演)はやがて『魂の叫び』というドキュメンタリー映画に発展。同名のアルバムには、メンフィスの伝説のスタジオ、サン・スタジオで、エルヴィスや ジョニー・キャッシュの写真に見守られながら収録された3曲や、まるでボ・ディドリーばりのビートが楽しい「ディザイアー」などが収められている。「ディ ザイアー」は1988年9月にアルバムから先行発売され、U2にとって初の全英No.1シングルとなっている。 ところが、彼らはこの時点で、ここから進むべき道は違う方向に向かっていると考え、90年代を迎えると活動も流動的になっていった。ボノとアダムは 三十路を迎え、80年代の過酷なツアー生活はすべての関係者の体力を消耗していた。そこで、「もう一度夢を現実のものとするために」ベルリンのハンザ・ス タジオに向かった彼らは、まず、"帽子組"=ボノとエッジ、"ヘアカット組"=アダムとラリーに分かれ、アシッド・ハウスからインダストリアル・ロックか らマイ・ブラディ・ヴァレンタインまで、ありとあらゆるルーツを激しくぶつけ合った。その混沌の中から生まれたのが『アクトン・ベイビー』。ダークで、遊 び心満載のこのアルバムは、バンドを再び活性化する一方で、ファンの柔軟性を問う内容となった。「このアルバムは4人の男がヨシュア・トゥリーを切り倒し ている音だ」とボノは本気とも冗談ともつかぬ発言をする。 このアルバムに対する熱意は、やがてロック史を書き換えることになるZOO TVツアーへと繋がっていく。ステージにおかれた40メートルを超えるビデオ・スクリーンに、世界中のニュース映像やテレビ・ショッピング、 "PUSSY(弱虫)"、"RACIST(人種差別)"、"EVERYTHING YOU KNOW IS WRONG(君の知識は間違っている)"などスローガンが映し出され、コンサートという楽しい浮かれ騒ぎ中で、メディア時代の不条理を次々指摘していく。 また、衛星中継で繋げられた先はサラエボの戦場であったり、ノッティンガムのファンの家であったり。1992年のアメリカ大統領選挙のさなかには、あのホ ワイト・ハウスにメッセージを送ったりもした。1992年2月から1993年12月までの間、ZOO TVのコンセプトに基づくツアーは162公演にも及び、スーパーモデルたちがバックステージで戯れる中、U2にしては珍しいグラマラスな世界が広がってい た。 そして、ZOO TVのヨーロッパ・ツアー中、彼らは『ZOOROPA』(1993)をレコーディング。ジョニー・キャッシュを説得し、「ザ・ワンダラー」を歌ってもらう ことに成功。また、14作のアート映画に触発されて作った『パッセンジャーズ:オリジナル・サウンドトラックス1』にはルチアーノ・パヴァロッティを フィーチャー。そして、この血気盛んな時代を締めくくる『ポップ』(1997)。やや重たい歌詞を、DJのハウィーBと結託して作り出した最先端のダン ス・リズムが覆い包む。そして、アルバムが完成するやいなや再びロードへと飛び出した彼らは、初めて南米やサラエボにも足を運び、「モーフォ」や「ディス コテック」のとどろくようなレイヴ・ビートで新世代のファンたちを興奮させた。 20年の歴史を積んだこの時点で、仮に彼らが静かな生活を望んだとしても誰も文句は言わなかっただろう。特に"ダブリン自由公民"のステータスを得 た今は、市内の公園で羊を飼うことさえ許されているのだ。全世界的に見ても、ダンス・ミュージックやヒップ・ホップやR&Bが主導権を握っている 今、いくらU2がチャレンジを受けて立とうと思っても、そう容易でないことは明かっだった。 そんな中、ミレニアム・イヤーに『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』はリリースされた。アルバムのテーマは忠誠と希望。新たな 定義のチャート・ポップ(スパイス・ガールズをプロデュースしたビフ・スタナードが参加)はさることながら、注目すべきは『WAR(闘)』時代を彷彿させ る、ギター・オリエンテッドなロック・チューンがスティーヴ・リリーホワイトと共に復活したこと。その成果は、7つのグラミー賞と1,050万枚のアルバ ム・セールスとして表れ、113公演行われたエレヴェイション・ツアーは、史上3番目となる1億1,000万ドルの利益を上げた。 そして2004年、ボノはG8の会場やホワイト・ハウスで、アフリカでのエイズ問題についてロビー活動を行い、深刻化する世界の飢餓問題についてス ピーチを行なっている。しかしそれよりも注目に値するのは、26年経った今もU2が存在すること、素晴らしい音楽を作り続けていることであろう。新作『ハ ウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』をもって、彼らは再び"どまんなか"に戻ってきた。U2というバンドに、それ以外の場所はあり得ない のだ。 ■グラミー賞受賞一覧 1) 『ヨシュア・トゥリー』 最優秀ロック・グループ 2) 『ヨシュア・トゥリー』 最優秀アルバム 3) 「ディザイアー」 最優秀ロック・グループ 4) 「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム」 最優秀パフォーマンス・ミュージック・ビデオ 5) 『アクトン・ベイビー』 最優秀ロック・グループ 6) 『ズーロッパ』 最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム 7) 『ZOO TVツアー~ライヴ・フロム・シドニー』 最優秀ミュージック・ビデオ(長尺) 8) 「ビューティフル・デイ」 最優秀レコード 9) 「ビューティフル・デイ」 最優秀楽曲 10) 「ビューティフル・デイ」 最優秀ロック・グループ   11) 「スタック・イン・ア・モーメント」 最優秀ポップ・グループ   12) 「エレヴェイション」 最優秀ロック・グループ   13) 「ウォーク・オン」 最優秀レコード   14) 『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』 最優秀ロック・アルバム 『 』・・・アルバム・タイトル、「 」・・・シングル・タイトル
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