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Simon & Garfunkel

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バイオグラフィ

ポール・サイモンは1941年10月13日、ニュージャージー州に、アート・ガーファンクルは同年11月5日、ニューヨーク州で生まれた。 共に中流のユダヤ人家庭に育つ。同じ小学校に通っていた幼なじみの二人は、音楽を通じて無二の親友になり、13歳の春に初めて一緒に中学校のダンス・パーティのステージに立つ。ヒット曲をコピーしながらヴォーカルを習得していった彼らの前に、決定的な目標となるエヴァリー・ブラザーズが登場する。方向性の定まった彼らは、高校時代に”トムとジェリー”というグループを結成。 「ヘイ・スクールガール」をインディーのビッグ・レコードよりリリース。全米49位にチャート・インさせ、10万を越えるヒットとなる。 その後、ビッグ・レコードは倒産。アートはコロンビア代が大学に入り、哲学、歴史、数学を学ぶ。さらに教育専攻大学で教職の免許を取り、ニュージャージー州で教師を務める。 一方ポールは、大学へ通いつつも、音楽への情熱難く、自分んの作ったデモ・テープをもってレコード会社に売り込みに歩く。 1963年、再び二人は一緒に歌い始め、”サイモン&ガーファンクル”を結成、CBSと契約。 1964年に発表したフォーク調のデビュー・アルバム『水曜の朝、午前3時』は、ビートルズ旋風吹き荒れる中、これといった反応がないままに、アートは再び大学へ戻り、ポールはイギリスへと旅立つ。 しかし翌65年、マイアミのラジオ曲が火付け役となって、「サウンド・オブ・サイレンス」が人気を集めているという情報から、バックにエレキ・ギター、ベース、ドラムスを加えたロック・ヴァージョンがシングルとして発売される。彼らが全く知らない間の出来事だったが、翌年全米No.1ヒットを獲得。ここから、スーパー・デュオのサクセス・ストーリーが始まった。 66年には、アルバム『サウンド・オブ・サイレンス』(最高位21位)、『パセリ・セージ・ローズマリー&タイム』(最高位4位)を発表。 68年には、映画『卒業』のサウンドトラックをリリース。アルバムは9週間、そのテーマ曲「ミセス・ロビンソン」は3週間全米1位になる。18ヶ月ぶりのオリジナル・アルバム『ブックエンド』もリリースされ、1位を7週キープする。 シングル「ミセス・ロビンソン」は69年のグラミー賞の3部門を獲得、デュオの勢いは最高潮に達し、押しも押されもせぬNo.1グループに。 70年1月、アルバム『明日に架ける橋』をリリースする。全米1位を10週間続け(同名のシングルも6週間)、グラミー賞では6部門を休止、ソロ活動に入る。 72年、大統領選に際しての民主党マクガヴァン候補支援コンサートで久々に二人でステージに立つ。 75年には、6年ぶりのデュエット曲「マイ・リトル・タウン」をシングルとしてリリース(全米9位)。お互いのソロ・アルバムに収録される。 81年9月19日、セントラル・パークでの再結成フリー・コンサート。50万人という驚異的な観客動員数を記録。 82年、12年ぶりのS&G名義のニュー・アルバム『セントラル・パーク・コンサート』を発売、全米6位となる。初来日公演も果たす(東京3回、大阪2回)。 83年、S&G全米ツアーを開始、再結成アルバムの話を持ち上がるが、結局ポールのソロ・アルバムになり、実現せずに終わった。 93年3月、ロサンゼルスのドロシー・チャンドラー・パビリオンにて、S&Gノリユニオン・ライヴが実現。ニール・ヤングをゲストに迎えてのチャリティー・コンサートであった。 10月には、ニューヨークのパラマウント・シアターにて、10年ぶりとなるS&Gの再結成ツアーがスタート。NYの後も、カナダ、日本、シンガポールと世界各地で公演を行った。
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